日常使っておられた診療室を「温古堂診療室」と言います。
そこには毎日と言っていいほど、
全国からいろいろな見学者が訪れていました。
橋本先生は、その見学者たちを快く受け入れておられました。
ある時、そこで橋本先生が治療としての操体をしておられる姿を見て
“橋本式操体法は、素晴らしいですね! ”言われた方がおられました。
すると、すかさず橋本先生は、
“天然自然の法則に、橋本式なんてものはねぇんだよ! ”と、
優しく諭されました。
橋本先生の一言は、今も私のこころの中で生きつづけています。
そのことが肝に銘じて入っておれば、
いろいろな流派なんてものは生じてこないのではないでしょうか?
仮に、流派の様なものが生じたとしても、
それはそれで現場における人間の姿として受け取っておられ、
“なぜそのような言動をするのか? ”と、咎めることはされず、
“自分の考えを押し付ける”と言うような事はされませんでした。
橋本先生は『からだの設計にミスはない』という本を出しておられますが、
人間の想いや行いにはミスはあるけれど、
私たちのからだは“自然法則のもとに設計されていてミスはない! ”
と言っておられるのでは無いでしょうか?
そこのところが押さえられてさえいれば、
自己主張をすると言うような“分派活動”的な言動はできないのでは無いでしょうか?
これとは逆の活動として“統合させようとする活動”も、
一見正当性があるようですが“考えを押し付ける”と言うことにおいては、
全く同類の行いであると私は観ます。
それらのことを踏まえて、
操体法とは、「人が身につける“方法”」として理解するよりも、
元々、今生きているすべての「人の身に備え持っている“法則”」として理解し、
誰もが自由自在に活用できるようになることが
大切なのではないでしょうか?
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