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無の操体

奈良操体の会のブログです。痛みなどの不快な症状は、実は体をちょこっと動かすだけで消すことができます。この一人操体法を身につけて、日常生活にとりいれると、「快」の極楽世界が待っています。

介護操体 ④(慈眼愛語)



人と人との出会いは、“目”が合うことに始まる。

その出会いの中にも、
“心”や“体”の変化をもたらす事がある。

その“まなざし”の中に、
潜んでいる“心”が反応し合う事がある。

諸々を受けとめてくれる様な“目”もあれば、
明らかに拒絶する様な“目”もある。

その人その人の“心境”が、
映し出される。

“目は口ほどにものを言う”と、
言われるのもうなづける。

その“心境”が口に表れると、
“言葉”として発せられる。

いづれにしても“心”と“体”は、
“命”とあいまって、
共に諸々の変化を呈する。

相手の状態を変えようとすると、
何らかの抵抗が生じやすい。

だって、人間は“天邪鬼”なんだから・・・
つまり強要や強制などの“押し付け”ではなく、
自らの心の在り方こそが一番大切なのではありませんか?

ありがたいことに“命”本来の姿は、
≪常に良くあろうとしてくれている≫わけですし、
自分の“心”も、
常に良くありたいと願っているのなら、
その“良くなるように為すか、為さぬか”が、
決め手になるのではないでしょうか?


そう言えば、
≪為せば成る、為さねば成らぬ・・・≫
という諺もありますね。

“成る”ためには、
“為す”ことが必要だと言うことはうなづけます。

自分自身も≪良くありたい≫と本当に想うなら、
その“為す”ために、
徹底的に≪自らのいのちの意に沿うようにする≫“決意(意志)”こそが、
一番大切なんじゃないかなぁと痛感しています。

そのために、
自らのいのちを慈しめる様な体験が必要なんでしょうね。

その体験が繰り返され、
“自信”が生まれてくるのでしょうね。

その“自信”が、
相手の人の“命”をも慈しむことの出来る
“心境”を生み出している様に想います。

私の家は禅宗ですので、
そのお経等を読んでいると、
“布施”と言う言葉が出てきます。

その“布施”には
◇法施(ほっせ):お釈迦様の教えを説くこと
◇財施(ざいせ):金銭等の有形の物を差し上げること
◇労施(ろうせ):労働奉仕すること
◇慈眼愛語(じがんあいご):慈愛に満ちた眼差しで、愛に満ちた言葉をかけること

人と人の目が合い、言葉をかける時には、
“慈眼愛語”が発せられるようにしたいものです。

しかし、頑張って作ろうとして発せられる“慈眼愛語もどき”
では決してありません。

そのためには、
◇いのちの素晴しさや尊さを身を持って知ること。
◇その“いのち”を本気で大切にしようという決意すること。
この事があって、無理なく自然に生まれ出てくることだと感じています。

そうすると、
やっぱり操体は人々の未来を左右するほど大きな力を秘めていると言えます。

もし、介護の機会があれば、
このことを思い出して、
学ばせていただかれては如何でしょうか?

もっともっと、皆でいろいろなことを学び合いましょう!
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テーマ:心と幸せ - ジャンル:心と身体

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