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無の操体

奈良操体の会のブログです。痛みなどの不快な症状は、実は体をちょこっと動かすだけで消すことができます。この一人操体法を身につけて、日常生活にとりいれると、「快」の極楽世界が待っています。

快さを指標に、“本気”で“本腰”を!

前回、心身一如に関して書きました。

言葉を使って講釈をしたり、
言葉を使って解釈をするには、
キチンと分けて定義されていないと、
キチンと分かり合えることはできません。

自分自身に目を向けてみても、
目に見える“身”は分かりますが、
目に見えない“心”は他人には分かりません。

この目に見えない“心”の世界を表現したくて、
本来“言葉”が生まれてきたように思えてなりません。


さて“本気”とは“心の様”ですし、
“本腰”とは“体の様”です。

程よく本気になることが大切です。
程よく本腰が入ることも大切です。

この“程よく”ということは、
“程よい抵抗感”または“存在感”が得られる程度
と言ってもよいと思います。

生命現象が営業を維持するには、
この“程よく”が大切なんでないでしょうか?

ここに生き方の極意があるのではないでしょうか?
橋本敬三師は、
ここに『生き方の自然法則』があり、
個々が『自然法則にかなって生き方』を探求する
必要があるという趣旨の事を言っておられます。


操体法の実習で、
ここのところに気づいていただき、
会得していただくたびに行っていることがあります。

モデルとなる方に寝ていただきます。
仰向きに寝て頂いて、
両手を水平にしてバンザイをしていただきます。

そのまま右手を伸ばしていただくのと、
そのまま左手を伸ばしていただくのと、
伸ばし比べていただきます。

仮に右手を伸ばしたときには腰が少し痛く、
左手を伸ばしたときには痛みはなかったとします。

モデルの方は、
からだをまっすぐに仰向きに寝て、
顔は天井に向けたまま、
指示された手だけを伸ばしておられます。

全身を使って動いておられません
これが“言葉の持つ弊害”です。

私がこのような状況を確認したうえで、
モデルの方にこの事実を確認していただくために、
実験を続けていただきます。

右手を伸ばしたときには、
どのあたりが、
どのように、
どの程度痛いのかを再確認していただきます。

続いて左手を伸ばしたときには、
痛みがないことを確認していただきます。

続いて痛くなかった左手の先にしゃがみ、
その左手の先に10,000円札をちらつかせます。

そしてこの10,000円札を
手を伸ばして取ってごらんと言いますが、
それでも顔は天井に向けたまま、
左手だけを伸ばしておられます。

そのような時には、
わざと10,000円札の場所をずらして意地悪をします。
“どこに手を伸ばしているの? こっちですよ!”と。

それでも顔と手だけは10,000円札の方を向いていますが、
全身が動いているとは言えません。
つまり“全身の状態をみている”とはいえないということです。

そこで、右肘を床に押さえ付けると、
左手は伸ばしやすくなりませんか、ヒントを差し上げます。

そうすると、右肘を床に押さえつけながら、
左手を10,000円札の方に伸ばされます。

それでも足元を見てみると、
両方のつま先はまっすぐ上を向いたままになっています。
つまり動かす力は上半身に偏っているのです。

そこで、
両足も使ってよいのですよ、と言いますと、
今度は全身を使って左手を伸ばされます。

そこで、
ひとつの目的に向かって、
全身が総動員されて動き、
その全体の変化を読み取ることが“動診”として
極めて大切だということを知っていただきます。

ただし、まだ問題が残っています。
“本気”になって、
“本腰”が入ってはいますが、
“向きになっている”ということです。

“向きになる”ということは、
心にとっても体にとっても“程よさ”を
超えているということです。

お断りしておきますが、
越えてはいけないと言いたいのではありません。
心身の調整をするときに、
この“程よさ”が大切だと思っているからです。

このような時にモデルの方に問いただしてみると、
左手を伸ばして痛みはなかったはずなのに、
からだのどこかに痛みやつっぱり感を感じておられる方が多いものです。

ご自身の“程よさ”というものも、
決して“一定”ではないことを、
“身をもって”知って頂きたいのです。

ここで大切なことは、
“好い加減”と言う事と、
“自分が動いて調整”するということと
“行きつ戻りつ”しても良いということです。

ここに操体法を会得するときの“コツ”があります。

右手を伸ばして痛かったのですから、
動いてみて減る方を見分け、
減る様に、減る様に、
全身を動いて微調整をし、
その人の、その時の、
一番違和感が無いところで、
一番安定感が有るところに“治める”と、
治まるところに“治まる”わけです。

逆に、何ともないと思っていた左手ですが、
全身を使って動かしてみて、
全身を注意深く観察してみると、
“痛くはない”けれど、
“凝っている感じ”や、
“突っ張る感じ“等があることに気付けば、
その感じが減る方を見分け、
減る様に、減る様に、
全身を動いて微調整をし、
その人の、その時の、
一番違和感が無いところで、
一番安定感が有るところに“治める”と、
治まるところに“治まる”わけです。

先日、
「今日は、“入り口”をどこにしますか?」を
書かせていただきましたが、
左手から入っても良いし、
右手から入っても良いし、
また、左足から入っても良いし、
右足から入っても良いということはお分かりいただけたと思います。

その動き方に関しても、
伸ばしてみても良いし、
縮めてみても良いし、
捻じってみてもよいということは言うまでもありません。

大切なことは、
人手を借りるために“外”に関心を向けるだけでなく、
自らの関心を“内”にも向けることです。

そして、
今ある自分の状態や、
今ある社会の状態に対して、
“誰かが何とかしてくれるだろう”なんて考えないことです。

自らの感覚を介して、
自らのいのちと対話してみてください。

自らの命が“常に良くあろうとしてくれている”ことに
操体を何回も何回もしていると気づくと思います。
 ◇“いのち”は「常に良くあろうとしてくれている」
 ◇“わたし”も「常に良くありたいと願っている」

あとは、
その“からだの意に沿う”様に、
程よく“本気”でやり続けることができ、
程よく“本腰”を入れ続けることができたら、
そこから新たな世界が生まれてくるのではないでしょうか?

“好い加減”
“操体三昧”に生きたいものです。 合掌
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テーマ:人生のコツ, 生き方のコツ - ジャンル:心と身体

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