A:「それで、気持ち良いですか?」
B:「ハイ! イタキモチイイです!」
某所での、操体法の指導者講習会の一コマです。
A:「本当に気持ち良いのなら、脱力したら、もっと気持ち良くなるでしょうね!」
B(上向きに寝て、右手を水平方向の上向きに伸ばしながら)「ハイ、気持ち良いです!」
A:「一番気持ち良いところで、脱力してみて!」
B: ・・・・・(脱力)
A:「もう1回動かしてみて! さっきと、どう?」
B:「やっぱり気持ち良いです!」
A:「一番気持ち良いところで、脱力してみて!」
B: ・・・・・(脱力)
A:「じゃ、もう1回動かしてみて! まだ、気持ち良い?」
B:「エエ、痛気持ち良いです!」
A:「まだ、痛気持ち良いんだぁ!」
B:「縮んでいるところが、伸びていて、気持ち良いです!」
A:「一番気持ち良いところで、脱力してみて!」
B: ・・・・・(脱力)
A:「これで3回したよね! もう1回、動いてみて! どうなった?」
B:「気持ち良いですよ!
ストレッチを教えてくださった先生も、このようにして、縮んでいるところを伸ばすように言われました!」
A:「あぁ、そうか! 先生の“考え”に従っているんだね?」
B:「・・・・・?」
A:「気持ち良いと考える方へ、3回動かしてみたんだから、今度はその“痛気持ち良い”感じが減る方へ動かしてみたらどうなるかな?」
B:「ココから、戻すということですか?」
A:「私に聞かないで! あなたのからだのことは、私には分からないんだから!
あなたのからだに、あなたが動いてみて“減る方”を確かめてみて!」
B:「戻すと、(痛気持ち良いのが) 減ります・・・」
A:「じぁ、それで良いんじゃないの」
B:「・・・・・」
A:「減って、減って、減って・・・、一番減るところまで、」
B:「・・・この辺だと思いますが?」
A:「手だけではなくて、右の肩も左の肩も、首も背中も、腰もお尻も、右足も左足も、ぜ~んぶ、何ともなくて、一番落ち着くところを、微妙にからだを動かして探ってみて!」
B:「・・・この辺だと思います!」
A:「合っているか、いないかは、自分のからだが回答してくれます!」
B:「・・・・・?」
A:「“この辺だという思い”も、自分のからだに照合してみるのですよ!」
B:「・・・・・?」
A:「一番落ち着くところを見つけたら、ソコで脱力してみたら?」
B: (・・・脱力して、一息付いて・・・)
A:「もう一度、同じくらい伸ばしてみて! どうなった?」
B:「 (痛気持ち良い感じが) 無くなりました!」
A:「あなたのストレッチの先生や、自分の考えに合わせて動いた時には、無くならなかったね!」
B:「ハイ・・・」
A:「“痛気持ち良い感じ”が、なくなるように動いたら?」
B:「何も無くなった!」
A:「自分のからだの“感覚”に合わせて動いたら?」
B:「何も無くなった!」
B:「“感覚”に合わせるか? “考え”に合わせるか?」
A:「“感覚”ですね!」
A:「自分の手に余る問題は、専門家の考えや、力を借りればよい・・・」
B:「・・・よくわかりました。ありがとうございます!」
世の中にはお医者さんをはじめ、“先生”と言われる専門家がたくさんおられる。
どんなに偉い専門家がしてくださることであっても、「その人の、その時の、からだに合うか合わないかは、からだが教えてくれている」という認識が必要です。
そして、仮に少しであっても「からだが、ソレ合わないよ!」と教えてくれたら、見直す必要があります。
操体法の提唱者である橋本敬三師は、≪原始感覚は、意欲と追及の仕方により、向上または衰退する可能性がある≫と言っておられます。
からだを動かしてみることによって、このことを体感し、この経験を積むことによって≪自らのからだに“信ずるに値するもの”がある≫ことの確信を得たいものである。
それこそが、生きるうえで最も大切な“自信”なのではないでしょうか?
テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体