Aさん:右に振り向くと首の左が痛いけれど、左に振り向くと痛くない
Bさん:左に振り向くと左の背中が痛いけれど、右に振り向くと痛くない
Cさん:右に振り向くと左肩が痛み、左に振り向くと右肩が痛む
Dさん:ジッとしていると痛くは無いけれど、左手を挙げると腰の右が痛む
Eさん:ジッとしていても右の股関節が重だるい
こんな時、私たちの〔こころ〕は似た反応をする。
Aさん:首の左が悪い
Bさん:左の背中が悪い
Cさん:左肩と右肩が悪い
Dさん:腰の右が悪い
Eさん:右の股関節が悪い
そして〔自分は特別悪い事はしていない〕と・・・
そこで〔今、悪いと思っているところ〕、
つまり〔今感じている症状〕を、ユックリユックリ動かしてみる
Aさん:右に振り向くと痛みが増える
Bさん:左に振り向くと痛みが増える
Cさん:右に振り向いても、左に振り向いても痛みが増える
Dさん:左手を挙げる痛みが増える
Eさん:実際にからだを動かしてみないと、増える方は分からない
この5人に共通している事は、
〔目立つ症状〕が問題で、
〔感じているところ〕が悪く、
〔自分は特別悪いことをしていない〕と言う認識では無いだろうか?
確かに〔問題でない〕と思っている症状に関しては
〔問題意識〕は持ちにくいようである。
しかし、ここで気をつけたい事は〔問題でない〕と思っていることが、
〔問題がない〕ということとは必ずしも一致しないということである。
どこを、どのように動かしたとしても、
本当に〔問題は無い〕のであれば、
痛みはもちろんのこと、緊張感も、動きに伴う抵抗感も、
からだの部分の存在感も、
〔何ともない〕と言う状態である。
〔問題でない〕と言う人間の判断は、
当人にとって〔問題だと思えるような症状がない〕というだけのことであって、
折角からだが表してくれた警告信号であるにも拘わらず、
〔問題でない〕と言う仕分けをした
≪人間の判断に問題≫があるということに気付く必要があるのではないでしょうか?
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