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無の操体

奈良操体の会のブログです。痛みなどの不快な症状は、実は体をちょこっと動かすだけで消すことができます。この一人操体法を身につけて、日常生活にとりいれると、「快」の極楽世界が待っています。

「奈良市操体法教室」の日程変更と再募集のおしらせ

奈良市中央体育館行事である「奈良市操体法教室」が、
新型コロナウイルスの爆発的拡散予防対策として、
奈良市中央体育館より余儀なく変更いたします、と連絡がありました。
よって、下記の如く「変更内容」と「再募集」のお知らせをさせていただきます。


感染状況によっては、再度延期や中止になるかもしれません。
そのことをご了承の上で、
再開できるようになった時の準備体制をとっておくと言う意味合いで、
敢て募集させて頂きます。

■日時■ 5月12日から毎週火曜日
       1:30~3:30 、全部で9回
■内容■ 自分で出来る肩こり、腰痛などの手入れ法
■費用■ 3600円
■申込■ 往復はがきに、教室の名称 : 操体法教室
                 住所、氏名、年齢、性別・電話番号
                 送付先 : 🏣630-8108 奈良市ほうれん佐保山4丁目1-3
                       ならでんアリーナ
■問合せ■ ならでんアリーナ  ☎0742-24-1501
                Email konoikeschool@joy.ocn.ne.jp


感染をなくすという事は出来ません!
正直言って、出来る事しか出来ないし、
なるようにしかならないと思います。
諦めではなく、明らめる事が、
今人間に求められていることではないでしょうか?

感染をすると、どのような人が、どのような状態になり、
何を望んでいるのかということに想いを至らしめることにより、
人間(人と人との間)の遣り取りに温かみが増し、
救いの手が伸びてきやすくなるのでは無いでしょうか?

最後の審判ではありませんが、今、人類は試されていると想います。
専門家の知識や技術や支援は大切ですが、
専門家任せでは、問題解決がいたしません。
専門家や政治家たちの言う事は、決して絶対ではありません。
それが疑うということではありません。
私は、一人一人が吟味するということだと思います。

ですから私たち一人一人が、
自分自身の問題として見直す必要が迫られているように思えてなりません。
医学的見地からの見解、
いろいろな状態にある病人さんの立場、
従来は、この専門家と患者さんとの関係が中心だった!
実際この関係性が一見正しいように受け取られるが、
このような関係性では、専門家の声が強力で、
患者さんの声は届き難かったり、発し難かったりする。

今回、大型クルーズ船が横浜港に着岸した時、
乗客・乗員を上陸させずに船の中に封じ込めた。
このことにより、新型コロナウイルスを上陸させないようにして、
多数の国民を守るために少数の乗客を封じ込めたと感じた。
その判断は専門家の意見によるものだそうだが、
とっさに“多数決の論理”と“トリアージの順位付け”が働いたと感じた。
いずれも現場感覚を持って判断し、対応するものであろうが、
国家の長たるものは“たとえ一つの命であっても、最善を尽くすように・・・”、
“乗客乗員の一人一人にも最善を尽くすように・・・”という配慮があってこそ、
信頼できる国なのではないだろうか?

乗客乗員の上陸が禁止され、
船内には新型コロナウイルスの感染者のいる可能性が高く、
次々と視野のニュースが入ってくる中で、
14日間も船室暮らしを強いられた人の立場に“自分自身”を置いてみて、
“からだの声”と“こころの声”を観察し、考察してみてほしい!

状況は違うが、電灯の無い真っ暗な長いトンネルを歩いて通ったことがある。
先が見えず、自分がどの辺りにいるのか?
どっちへ向かっているのか?
それが分らないということの恐怖は、
とてつもなく大きなもので、当事者にしかわからないものである。
あのアウシュビッツのような状況下で、
よく精神異常が多発しなかったものと私は思う。
体の傷であれ、心の傷であれ、
その当事者にしかわからないものであるなら、
その当事者にお尋ねすればよい。
その当事者の状況を深く察するには、
その当事者の状況を想定し、
そこに我身を置いてみて、想いを巡らしてみると良い。
そうすると、いろいろなことに想い当る(気づく)であろう。
そこで気づいた事は、知識や技術を超えた「知恵」ではないだろうか。
その後を出し合って、そこから生まれてくる物事を、
いろいろな人の知恵(衆智)を集めて、
どの様に生かせば良いか「共に試行錯誤」する取り組みの過程こそが、
本当に大事な事ではなかろうか?

例えば、
病人さんを取り巻く家族や知人の立場・・・、
医療現場や検査現場において必死に対応している現場職員立場・・・、
遊びたくて、動きたくてウズウズしている子どもの立場・・・、
障害や難病を持っている人たちの立場・・・、
子どもから老人に至る年齢的な違いにおける問題・・・、
職種・職域・職能等に関する違いや経済な問題・・・、
いろいろな教科毎の教育問題・・・、
教祖、経典、修行、宗派等の違いによる宗教問題・・・、
党利、党略、支援団体等の違いによる政治問題等々・・・・・
・・・立場や問題や見解はいろいろある。

見直すとっかかりは、今自分自身が直面している問題てはないか!
その問題を自覚する“仮想の状態”を想定してみる!
その状況における遣り取りを想定してみる!
まず“第三者間同士の遣り取り”を、金品や言動から「客観視」してみる。
その仮想状態に、自分自身を置いてみる!
そこで初めて、「影響を受ける自分」と「影響を与える自分」に気付くのではないか?
この様な平常時の取り組みが基盤となって、
今回の様な未体験の緊急非常事態における対応を、
専門家と一般生活者が智恵を出し合って試行錯誤すると言うことが理想ではなかろうか?
いろいろな人が社会生活を営む中で、
その道程で選ばれた「長」は、その時点における最善を尽くす様に努めるなら、
誰もそれ以上のことが望まないのでは無いだろうか?

現状では、インフルエンザが毎年流行るように、
ウィルス感染者を無くすことは極めて困難と観ています。
専門家たちが、カタカナの専門用語を使い、
いくら懇切丁寧に説明をしたとしてもスッキリしないのは、
言葉の意味が通じる小学生の子どもにも分かる様な話ではないからではないでしょうか?
専門家の反省と、専門家任せの私たち一般生活者の反省を求む。
◇地域の現場、日本の現状、世界の現状、はどのような状況にあるか・・・
◇どのような状況下で感染・発症・発病が起こっているか・・・
◇感染が起こらないようにするためにはどうすれば良いか・・・
◇感染・発症・発病したとおぼしき人の対応はどうすれば良いか・・・
◇感染・発症・発病のある(かもしれない)人と接近接触したとおぼしき人の対応は・・・
◇医療崩壊を防ぐために、医療として本来為すべきことで、何がなされていないのか・・・
◇平常の日常生活が送れるようになるための段階的課題と、現状の対策の意味・・・
◇どのような状況になったら平常の生活に戻ってよいと捉えるのか・・・
◇平常の日常生活が送れるようになる時期は、いつ頃を見込んでいるのか・・・
◇専門家といえども、わからないことがあると思うが、何が分っていないのか?・・・
◇今後新たな感染症が発生する可能性があると思うが、その可能性と対策は・・・
◇一人一人がこれを機に、日常的に体調を整えるための課題と対策は・・・
◇医学的な問題や、経済的な問題が取りざたされるが、日常の生き方の問題は・・・
◇死んでいたら病気は無いのだから、手始めに生き方の課題の見直しを推進しては・・・
◇生き方の基盤として〔息遣い・飲食の摂り方・動き方と整え方・心遣い・関係する物事〕・・・
◇病気に対してどうするか? 身に備え持っている元気に対してどうするか?
◇これを機に、社会的活動の在り方を見直すための課題と対策は・・・

★今は、まさに「正念場」と痛感する!
 9月に公園に行く予定であったアルゼンチンからも、
外出禁止令が出ているそうです。
自分自身が、知らない間に“感染した人”にもなり、
 “感染させる人”にもなる。
今、爆発的感染が起こっている状況下では、ウィルスと接触しないことが第一。
その為には、感染の可能性の高い場所で不特定多数の人と就職しないこと。
皮膚表面からは感染しないのだから、未消毒の手で粘膜を触れないようにすること。
そして忘れてはならないことで忘れがちな「日常の自律的体調管理」 ! ! ! ! !


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