「生きる」って言葉の語源は“息する”なんだよね!
この何も意識せずにしているしている“息”についてチョッと考えてみよう。
「呼吸」って言うでしょう。
何故、“呼”が先で“吸”が後なんだろう、って思ってたんです。
それがある時、テレビを見ていて アッ! ソウダッタンダ! と思い当たる事があったんです。
それはね、イルカだったかクジラだったかは忘れたけれど、海の中から顔を出すシーンでした。
顔を海面に出すと同時に プシューーーッ と潮吹きをしたんです。しかも、気持ちよさそうにです。“呼”と“吸”の在り方が、テレビで見えたんです。
それは人間と同じ哺乳類なんでしょう。しかも、同じ肺呼吸をしているわけですよね。
それで“呼吸”の疑問が一つ消えて、ストンと胕に落ちたんです。
イルカもクジラも、海中で長く潜って泳いでいると“苦しさ(不快)”を次第に感じてくるんでしょうね。“不快”が増してくると、“快さ(快方)”へ向けて「行動転換」を無意識的にするんでしょうね。
“どうすべきか?”なんて、余計なことは考えずに。
もう一つあるんです!
赤ちゃんの“産声”から学んだこと。
お腹の中の赤ちゃんは“羊水”に浸かっているんです。だから、赤ちゃんの肺の中には、“空気”ではなくて“羊水”が入っているんです。
と言うことは、まだ「肺呼吸」をしていないと言うことなんです。
じゃ、何処で息をしているかと言うと、お母さんが呼吸をしてくれて、それを「胎盤」を介して息をしているんです。
と言うことは、生まれ出てくる時に、最初にするのは “羊水を吐き出す” 事なんですよね。
そして、外界の空気が肺に入ってきて “産声” をあげると言うわけなんです。
お腹の中の世界から外の世界に“移動”するのって、大変な切り替えが必要なんでしょうね。でも、赤ちゃんは何も考えることなく、自然にそれをやってのけている。
それは大きな大きな切り替えなんでしょうが、外界に “適応する” には避けて通れないことなんですよね。
つまり、からだの内の変化であれ、外の変化であれ、その変化に “快くなるように、対応すること” こそが、動物としての最低限せねばならないことなんですよね!
意識しようが、意識しまいが、今、ココに、こうして生き、反応してくれている“我いのち”。
その “いのちとの関わり方” で、一番大切なことは「快くなる息づかい」を意識して取り戻すことじゃないのかなぁ、と今は思っています。
意識せずに見失っていたことだから、意識して取り戻す。
つまり、意識して目指すのは、意識せずともできる“快い息づかい”なんだよね。
すこし変だけど、人間が変なんだよね! 人間だから、仕方ないかぁ!
少し、現実的なことも書いておきます。
息を詰めてする“勉強”や“仕事”。 多くないですか?
それが一段落して開放されると、人に言われなくても“伸び”や“あくび”をしませんか?
だから、身近に病気の方がおられたら、もっともっと“ため息”をするように勧めてあげて下さい。
できれば“ア~アッ”なんて、気持ちよく声が出せたらもっとよいでしょうね。
併せて、 “快くなる方へ、微妙に身もだえ” しながらできると、もっともっと “良くなる(快くなる)” のではないでしょうか。
お葬式の段取りまでしていた方が、生き返ったという例もあるくらいなんですよ!
まぁ、生きてるんだから、息は自分ですることですよね!
誰もが死ぬまですることなんだから、自分で “どうすれば良い(快い)” かを会得するしかないもんね。
自分のからだに、どうすれば快くなるか教わるしかないもんね。
何かあったら、また一緒に考えて見ましょうよ!
気軽に、力まずに、一つ一つ・・・・・