「どうして“無の操体”は生まれたんですか」
と尋ねたことがあります。
すると、北村先生は二つのお話を
しゃべって下さいました。
それまでの治療経験が土台となっているのは
当然のことでしょうが、
以下の二つのことが無の操体に気づく
大きなきっかけとなったようです。
ひとつめは、
一昔前、北村先生が晩年の橋本敬三先生に
会いに仙台まで行かれたとき、
敬三先生が治療室にあった点滴棒に、
手作りの固定具を取り付け、
5本の指を固定して
微妙に体の各部分を動かして
一人で気持ちよさそうにされていたそうです。
北村先生が
「先生、何をされているのですか」
と聞かれると、
敬三先生は、若干照れながら
「いやぁ、こうすると気持ちいいんだ」
と答えられたそうです。
その微妙なくねくねした動きが
妙に北村先生の印象に残ったそうです。
ふたつめは、
北村先生が操体を始められてしばらく経ったころ、
いつものように般若心経を唱えられていたら、
「はっ」と無の操体の原理原則に
気づかれたそうです。
私は、北村先生のように般若心経を
唱えられないのですが、
なんでも「無」が21箇所も出てくるそうです。
参考までにインターネットで検索したものを
コピペして「無」が多いところを一部
はりつけておきます。
「・・・無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界
無無明亦 無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故・・・」
「そうだ。無こそが本当のあるべき姿なんだ」
と心の底から感じられて、
それから操体で無の状態を追求して
いかれるようになったそうです。
面白い話ですね。
(空)